カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

政治のことはよくわかりませんが。

国葬について、


賛成反対・・とやかくいうことが、亡くなった方に対して失礼な気がする。



公人として、大変な仕事をされた方であると同時に、
そりゃ、好き嫌いも敵味方も派閥も・・清濁あったろうと思いますよ。
国葬なんて言って、公金を使うがゆえに、
死んでなお、批判されたり、評価されたり、過去をほじくり返されたり。
ただ、そういうことを、言われる故人が、気の毒でね。
まるで死者に鞭打つかのようで。



私が、国葬される者の家族だったなら、
「ほっといてくれ。」と思うだろうし、
私が、本人だったら、
「あんな死に方でこんなことしてくれても、うれしないわ!」と、思う。
ま、わし、今回の当事者ではないので。
本当の当事者さんたちがどう思ってるかは、わかんないけどさ。



んでもって、もし自分が国葬に招待を受けてたとしたら・・、(受けないけど!)
・・・悩むなぁ。・・参列する・・かもしれません。
だって、故人をしのぶ会だし、しのぶ気持ちはあるからです。
でも、すっきりしない気持ちで、拝まれるってどうなんだろう。



仰々しいのはどうか、華々しいのはどうか、と思うけど。
これも、個人個人の感覚の違いで。
うちが、お母ちゃんのお葬式に、150万使ったことを、
使いすぎ(贅沢?)、と思う人と、すくない(貧相?)って思う人と、
いろいろいるだろうしね。



ま、
人間って、国のために生まれてきたわけじゃないし、
一人の人間の命が終わったことを、他人様が「国葬にするしない」で評価するのは、
間違ってる。
と思う。


いい人だったから、とか、
偉大な業績があるから、とか、
・・・そういうのではないと思うんですよ。わたしは。


ただただ、・・・くやしかろうね。
死にたくなかったろうね。
まだやりたいこと、いっぱいあったろうね。
と、
いろいろ、気の毒に思います。


わし、政治的なことわかんないから、個人的に思ってるだけでね。



ご家族の平穏と、故人のご冥福を祈るばかりです。

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