カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

山小屋解体。

ところで、
ちょっと前の話になります。


わしの実家は、もうその名字を継ぐ者がおりません。
家系としては、わしと妹のふたり、で終わり。
実家母が死んでから、いろいろ相続とか片付けとかモタモタしてますが、
特に始末に困ってるもののがありまして、、それが畑と山小屋。
(畑のことはまだ現在進行形)


山小屋ってのは、明治生まれの実家のじいさんが使っていたもので、
じいさんは・・わしが25歳頃に亡くなっており、
たしか、晩年11年間ほど脳梗塞で寝たきりだったので・・・ええと・・
・・ええと、算数ができませんが、たぶん45年ぐらい放置されてたものです。たぶん。


おじいが畑をしなくなったので、小屋は必要でなくなり、敷地の半分はお墓になりました。
(それまでは共同の墓地でした)
この地面はもともと檀家寺のものだったので、お墓は問題ないんだけども、、
問題は、ただ朽ちていくだけのこの小屋。
おじいが脳梗塞で倒れてからは、まじで何も使用してなかったのですが、
実家の母ちゃんは、ずっとお寺(土地の持ち主)に年貢(家賃?)を支払ってました。
(年間1000円・・。激安ではありますけどね。)


これ。

屋根は破れてるし、ヘビは住んでるし、へんてこな道具類や棚やらがらくたがわんさか積まれていてて、とても気持ちが悪いです。



それと、このすぐそばに、おじいより先に農作業引退した叔父の小屋もあって、
これ。


さて、
これらの2つの物件を、
私と妹と二人でどうにかすることになりました。
正直言って、わし、後出のほうの小屋は叔父のだと思ってて、
その息子(いわゆる従兄)に言ってみるが、もう75歳になってて「よく知らないから」と、なんか勢いも責任もない。(なんでやろ)
どうでもいいけど、とにかくこんなものを後世の我々の子孫?に引き継いでもらって負担かけることになってはいけないと思うので、いわゆるまぁ、私ら姉妹が目の黒いうちに片をつけることにしたわけです。
従兄にも一応「解体したら費用ちょっと助けてや!」とくぎを刺す。


んが。
解体作業もガラクタの運搬にしても、知識もチカラ?もない女二人じゃ不可能で。
知り合いの大工さんと屋根屋さんに来てもらうことにしました。
山なのでトラックが横付けできるような場所ではなく、
運搬車を借りて(テーラーって呼んでました)運ぶことになりました。
山道に、足場組んで・・・。


めっちゃ、大変。
本当に本当におおごとになりました。
こんな山の上まで、おじいはどうやって持って上がったのか、
建具とか、ふすまとか、畳とか、ガラスとか、タンスとか、タイルとか、漆喰とか。
魚採るときの魚籠とか(なんで山に・・)雑誌とか、昭和の黒電話とか、、、。
心の底から首をかしげるもの、あまた。



それが
1か月くらいかけて、このように消滅。↓


最初の写真とはアングルが違うから、画像はつながらないんだけど、確かにこの2件です。



そして、
壊した残骸と小屋の中に眠っていた妙ながらくたは、
うちの解体車置き場に、このような状態に・・・。



さて、このごみの山の処理・・・。


トタンや鉄でできているものは、屋根やさんが業者に出せばお金になるので引き取ってくれることになり。
小屋の下に、芋穴があったので、瓦やじゃりはソコに埋めてもよかろうと。
薪ストーブ使ってる従兄と、薪でお風呂を焚いてる人が近所にいるので、
木材部分はいくらか処理できるかもしれません。
薪にならない廃材は、産廃に出すとやたらお高いらしいので、
焼却炉を持ってる友人に、できるだけ燃やしてもらうことになりました。
その作業はたぶん・・たぶん私の責任なのでしょう。
運ぶだけでも、結構な労働です・・。


それでも残ったら
町のごみ処理施設に持って行けばよいみたいです。


解体完了してかれこれ1か月半経ちますが、まだごみ片づけられず。
家、土地
、道具、着物、服、もろもろ、財産、、、、
あまり、余分なものは後世に残さないようにしよう・・。(現金以外は)


と、心に誓う私です。

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