カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

言っておきたいこと

今日の3時半。
病室から、母ちゃんから電話がかかってくることになっていたので、
妹と二人、スマホの前で待機していたが、なかなかかからない・・・。
ラインの電話を教えてみたけど、できないらしい。
お年寄りは、リモートとか、むつかしいよね。


なので、看護師さんか、地域連携なんちゃらの方が手伝ってくれて、
時々顔を見ながら話をさせてもらえるのだ。


結局、ラインの画像の電話はあきらめ、
グループ通話もあきらめ、
普通に電話をして話をした。


そう。
母は、「その時」が来たとき、どうしてほしいか、
私と妹に、伝えておきたいことがあったのだ。





昨年の12月に、母ちゃんの大腸癌が発覚した。
肝臓や骨にも転移があり、その肋骨あたりの癌が神経を圧迫して、背中の痛みを訴えた。
去年の夏頃から、背中が痛いからと個人病院に通っていたが、なぜか「内科的には問題がないから整形外科へ行けばよい。」と言われて、整形やら、整骨・整体やら、マッサージやらに通い、そのうち「なんだか背中もアバラも痛くなってきた」と言い出したので、
私が「もしかして帯状疱疹じゃないの?」と、もとの個人病院へ行って、
そこで初めてエコーをすることになり、癌が見つかった。



・・・。
なんで、最初にわかんなかった?と、疑問と怒りを持っている。
でも、すでに背中が痛かったんだから、骨への転移はあったんだろうと思うし、
それほど変わんないかな・・とも思うけど、
それでも、もうすこし注意深く、もう少し親身になって診てくれればと、
痛いのを我慢していた時間や、治療開始が遅れたのも、
少なからず最初の病院には恨み言を言いたい・・と思う。
・・今となってはもう、どうしようもないことだけど。




さて、去年の暮れに総合病院を紹介されて、そこからは迅速な検査と入院。
何度か抗がん剤で闘ってきたが。
副作用に苦しんで、今は、すっかり衰弱してしまっている。


食事は、大腸で詰ることがないように、流動食。
母と一緒に暮らしていた妹は、好きなものを用意して、せっせと差し入れしている。
コロナのせいで、面会は一切できないけど、毎日洗濯物の取り換えとか、
しっかり世話をしてくれてて、とてもありがたい。



最後に抗がん剤の点滴をしたのは、7月2日。
それまでは、自宅で3日間点滴をするスタイルでやってきたのだけれども、
7月9日に激しい嘔吐、血便、トイレに立つのも一人では無理で、そのまま入院。
しばらくすると譫妄が始まり、「黒い虫がいる」とか、「水が噴き出してる」とか、
夜中に電話がかかって「今、バスに乗ってる。」とか、「〇〇さん(亡くなった方)がお見舞いに来てくれた」とか、変なことを言い始めた。
認知症か、麻薬のせいか?幻覚か・・。


癌はもちろん、体をむしばむけど、
抗がん剤の副作用も、あまりにも体への負担がかかりすぎて。
・・治療ができなくなってから、今で2か月余り、
急性期の病院から、近所の病院に移った。
副作用の影響が減ったのか、最近は正気を取り戻してきた。


50㎏の体重が35㎏になり、髪の毛が抜け、
放射線治療で傷ついた肺も後遺症があって、息苦しく、
本人曰く、「腹水がたまってきたわ」
血糖値が上がり、インシュリンも打っているらしい。
立ち上がるのもトイレも介助なしでは無理。
先日から、38度ぐらいまで熱があがり、今も微熱。
月曜日にリモート面会した時は、鼻に酸素チューブをつけていた。




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自分の葬儀の時は、
お香典は受け取らないでほしい。
お花は最小限で、盛花や盛り籠もいらない。
親戚は、誰と、誰と、誰に知らせてほしい。
友達は、あの人とあの人と、あの人にも、あの人にも・・。


喪主は、私の夫。
場所は、空いてるとこで。
家族葬でいい。
誰も来なくていいって言うても、絶対「行く」っていう人がおるから、
来たい人は来てもろたらええやん。


衣装は、物置部屋の右のタンスの、真ん中の引き出しに
「旅立ちの時に」って書いたやつ、あるから見ておいて。
緑の着物にするわ。




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なぁ、家に帰りたい?
まぁなぁ。みんなに世話かけるから、ええわ。
ヘルパーさん朝昼夕来てくれるらしいし、訪問看護さんも来てくれるで。
そやなぁ。
点滴と、酸素と、インシュリンとなんとかしたら、私ら仕事かわるがわる休んでついておれるで。
そやなぁ。
まぁ、熱下がらな、あかんけどな。
ずっと苦しいから、・・無理やわ。
・・・そうなんか。そうか・・。


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知らせる人のリスト書いとくから、今度見てな。
保険も、どうなってるか次のリモートまでに書いとくわ。



誰の話をしているのか、
淡々と、普通のことのように、
かあちゃんも、、私も、妹も、三人とも。




こんな時でも、泣けないね。
私も、妹も、泣いてない。


癌が見つかった時も、
「私は強いで。」
と言ってた。


ほんまや。



覚悟?
ではないと思う。


あきらめ?
でもないと思う。


あきらめかもしれないけど・・。
自棄ではない。



少しでも長くと、思ってしまうけど、
苦しいのからは、助けてやってほしいと思う。


これからどうなっていくのか、
こわいなぁ・・。

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