カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

花火大会中止の件

戦後の高度成長期の経済成長により、
吉野は木材の町としてぐいぐいと発展し活発な街になった。
人口が増えて、商店街も繁栄し、力を持て余して?大きな花火大会が行われた。
それは・・・私が生まれるよりも少し前ぐらいの話だと思う・・
1960年台ぐらい。


燃料が石炭から石油になって、軍艦島が廃墟になったように、
木材は値段の高い国産から外材へと移行し、建築のやり方も変わっていき、
木材需要は激減。それに伴い、町の経済はどんどん力を落としていった。


若い人たちは、仕事のない吉野を出て行き、生活の拠点を都会に移し、
少子高齢化、過疎化が加速していった。
どれぐらい廃れたかというと、ええと、子どもの数で言えば・・
町全体で、1学年の人数
一番、多い頃、300人ほど。であったのが、
今、息子の学年は30人。
その数字で言えば、町の勢いは、十分の一ってことになる。
人口は18000人が7000人。


人口が十分の一でないのは、高齢者がたくさんいるから。





花火大会は・・・商店会の弱体化と資金不足により、一度廃止になって、
3年ほど行われていなかったが、
町が廃れていくことを憂う有志の皆さんの働きにより寄付が集められ、
ここ最近、5年ほどは花火大会が行われてます。


(昔の画像引っ張り出した。)


自分の仕事ほっぽりだして、青い顔して汗かいて、人に頭下げて寄付を集めて、ポスター作って、灯篭流しの準備作業をして、河原の整備をして、当日は駐車場の整理や、もしかの時のために消防団で待機。子どものPTAや、指導員としての見回り。
おカネだけではない、どれだけの労力を消費しているのか。



・・・わしの個人的な意見ですけど、
「もう、そんな無理しなくてもいいよ。」と・・・言いたいです。
何も知らない、子ども達や若い人たちは、「花火?屋台?わーい。」と喜んでる。
そして・・吉野を捨てて親を置いて出ていった人たちが懐かしそうに帰ってくる。


でも・・もう、
誰のための、何のための花火なのかなーと・・。
わずかな感傷ですかね?昔はにぎやかやったなぁと、
その日だけのにぎやかさのためですか?一日だけ派手にしたからって、それが商店街のお店の商売の活性化、恒常化につながりますかね?


自分の稼業で利益を出しかねているのに、そこまですべきかなと・・・。
まー、マイナス思考ですけど、そう思ってしまうわけです。



うちの会社も、寄付集めに来られた方に、今年も一万円寄付しました。
有志の人に、町行政ものっかって協力するようになったので、ガードマンさんの費用や、駐車場から河原までピストンバスが出るようになりましたが。でもそれも税金なんだよね?そんな、一瞬であぶくのように消えていくおカネよりも、もっと有意義なことに使えないのかな・・・。



吉野がもうダメだなんて言ってませんよ。
町の体力に見合った生活をしたほうがいいと言ってるだけ。
木に関係のない仕事をしている私にも、「吉野材は、最高級。」だという自負はあるし、
「吉野の歴史は、日本の起点。」「吉野の桜は世界一。」という自負もあるのです。
そういう意味で、吉野とは、大事にしなくちゃいけない場所だと思っています。



ただただ、町に残された高齢者の介護と仕事と育児を一手に背負っている働き盛りの世代の我々に? 何とか手を差し伸べてほしいとは思うけどね!!
(青息吐息)




今年は、台風が来たので、今日はもう花火は中止となりました。
延期はないので、中止。 そのおカネ ぱー? と、役員してる人に聞いたら、
「今年は保険に入りました!保険代高かったけど花火の分は戻ってきます。」
よかったネ・・・。
そのおカネ、来年の分に回せるんだ。。。。



今年、実はうちの息子も中学の吹奏楽部として花火と灯篭流しとコラボすることになっていたんですけど、当然それもなしになっちゃった。
それ以外はもう、もう。花火には何の未練もないや・・。
(感性、枯れてますね)






台風・・、何事もなく通り過ぎますように・・・(ー人ー;)

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