カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

受け入れるか受け入れないかの話ではなく。

あのね、もうね、誰かに理解してもらおうとも思ってないのでね、
テキトーに流して欲しいんですけどね、


母ちゃんが10月に死んだわけですけれども。
頭ではもちろん理解してるわけで。


呼吸止まって、
心臓も止まって、
すうっと顔から血の気がなくなってね。
焼かれたあとの骨も拾ったしね、
いつもかけてたメガネを、あっちでもよく見えるようにって、
かけたまま焼いてもらったらひんまがっちゃって、ちょっと後悔したりしてね。


何回もいうけど、わかってるんですよ。
ちゃんと。もちろん。


でもね、
白菜と大根の切り漬け、どうしたらよかったっけ?とか、
そんな何気ないこと思うときに「お母ちゃんにきけばいいや…」と
一瞬そういう気持ちになるわけでね。
いやだから、聞けなくなって寂しいとか言ってるんじゃないわけですよ?


ただ、まだ、
自分の無意識の感覚が、お母ちゃんが死んでないと思ってるというか、
染みこんでいないというか。
だから、死んでいないので、寂しくもないというか。


・・・。


わたしねー
顔が動かなくなる病気になったときに、
自分の顔がゆがんだのを自覚するのに、5日もかかったのね。
普通、自分の顔が変になったら悲しんで泣いて途方にくれて、
夫さんとかに怒って当たり散らしたり、自暴自棄になったりすると思うんだけど、
私の場合、粛々と病院に通い、薬飲んで、治療しつつ、
その時できる仕事や家事をしてたの。お利口に。
んで、5日ぐらい経って突然
自分に降りかかった不幸を自覚してオイオイと泣いたんです。
(5日も経ってから)



今も、たぶんそうだと思う。
たぶん。


だから、
いつか、突然どっぷりと染みこむかも知れないし、
時間の経過とともに、だんだんと染みこむかもしれない。
どっちか、わかんない。


今は、
考える間もないぐらい、
しなくちゃいけないことがたくさんあるから。
何かを考えていても、考えていなくても、時間はどんどん経って行くので。



時間ってのはありがたいですね。
確実に過去を遠ざけてくれますからね。
風化するってことですね。


なんか、こう、痛いなあと感じた言葉も、
自分の心の中で何度も転がしたりしてるうちに角が取れて、
何でもないモノになってくる。



抽象的すぎましたかね。
まあ、いいんです。


あまりうまく表現できないけどね、
なんとなく正直に書けたかな。
ってことにしときます。

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