『聲の形』の感想
久しぶりにDVDを借りて、仕事の合間に見てました。
聾唖の障害を持つ女子生徒がいじめられるシーンから始まり、
可愛く美しい絵柄ながら、見るのはだいぶしんどかったです。
それ以後もこういうシーンきらい・・と思ってとばしたところ数知れず。
本当は直視すべきだったのかもしれませんけど、おそらくリアルでも私はいじめの現場にいると視線を外してしまうだろうし、ダメだろ?と思っても口に出せないまま黙り込んでしまうのかもしれません。佐原みたいに。
硝子の「ごめんなさい。」は理解できません。そこまで卑屈になる必要はない。
人間として、怒るべきです。怖くてできないのであれば、味方になる人を作ってやってほしかった。(作者さんに言ってます)
将也の心理は、わかる気がします。この子はきっと作者本人だと思う。
心を閉ざして、周りの人間すべてにバッテンをつけるところ、共感します。
いじめる側から、いじめられる側に追いやられ、そのまま高校まで引きずる。その「心の凍り付き方」はよく表現できていると思う。
でも、安易に「死にたい。」という方向に考えすぎ。
死ぬことなんて、ただの逃げでしかない。
逃げるなら、離れればいいだけなんだから。そこは映画としてどうかと思うんだな。
映画やアニメなんて、いくらでも人を死なせることができるんだから、
安易すぎる。
あのバッテンをつけてるんだから、死ぬ必要はないんです。
それと、そこは硝子も同じ。いじめられてもいじめられても強く生きてきた子が、花火大会の日ににっこり笑って死のうとするかな?いや、するかもしんないけど、このシーンもすごく嫌だったから、とばした。
前後しちゃうけど・・将也が一人一人に真実思っていることをずけずけというシーン。
あそこは、ある種の爽快感をもって聞いてた。
物事の本質って、本当に思っていることって、「相手に告げてはいけない」って部分があると思う。相手の悪いところずるいところ、汚点。
それを低い声でぶちまけるところ・・。
それは・・私自身がやりたかったことだ。と思ってました。
私は、そんなひどい目にあったことありませんけど「あんたのせいでしょ?」とか「あんたはここが悪いのよ。」とか、日々を平穏に過ごすためには思ったこと言わないで過ごしてるなーと再認識したのでありました。
あっと・・・話題がお話からずれちゃったな。
ええと、実のことを言えば、このお話に出てくる手話は、私は全部理解できました。
習ったこともあるし、聾唖のお友達がいるからです。しょっちゅう会うわけではないのであまり熟達はしてませんけど指文字ができるので専門用語以外はほぼ会話ができます。
奥さんも旦那さんも耳が聞こえませんが、旦那さんのほうは「聞こえない」と言うだけで小学校時代、ランドセルにおしっこかけられたり、いじめられたことがあるそうです。
人間って、醜いですね。
優位に立てると思ったとたん、人を見下すし、虐げるんですね。
それが本能だと思うと、救われません。人間なんて滅びちゃえばいい。
でも、そんな醜い自分を抑えて、人を好きになって、大事なものを守りたいと思う。
それも人間なんだよね。むしろそれがなかったら、人間じゃない。
いや、どっちもひっくるめてが人間なんだな。
ああいやだいやだ。
・・・作家さんてのはえらいな・・・。
あんないやなことを書けるってのは、そういう内面があるからなんだろうか?
私も最近になってお話を書いたりしていたけれども、実は、自分の書くお話には、悪い人がでてこないし、いじめたりもないし、殴ったりもないし、そもそも登場人物があんまり怒らないし、親しい人と喧嘩したり、好きな相手との誤解もありません。
私がいやだなと思うことは、あまり出てきませんのです・・。
(内面にいやなところががないアピール)
でもそれって・・おもしろくもなんともないやん・・・_| ̄|○
今朝の体重73.0㎏ じわっと戻してきましたよ!