カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

からだがミシミシいってるよー。

老体に鞭打って二日間の審判員実技と講習とがんばりましたが、
テンション高いときに気づかなかった疲れが、今ドッと出ています。
腰が痛くなるまで寝てました。
まーでも、
からだはきつくても、非日常的な広い琵琶湖で過ごせたってことは、心のリフレッシュにはなったかなという気がします。古い知り合いともたくさん会ったしなぁ。



もともと、多動なのですよ。私は。
ADHDというやつですね。
子どもの頃はちっともじっとしていない落ち着きのない子どもでした。
成長するにつれて人付き合いを学習しまして、他人に不快な気持ちを与えないようにするすべをちょっとは身に着けたと思いますが、ホントの私は、発言にしろ行動にしろ、基本ぎょっとされることが多かったと思います。(「あの子変わってるよね」と言われることは多かった。)
・・・だから、今もじっくりと考えてから行動しないとダメなんです。


自分がアスペルガーかなーと疑ったこともあるし、
コミュ障だなとも思うし、
躁と鬱の波があるなと思うし、
被害妄想もあるから、統合失調かなーと思ってみたり、
誰かが言うことの意味を言葉以上にくみ取ろうとしたり、顔色を見たり、何かの出来事や話から影響を受けやすいのもあって、ハイリーセンシティブかなーとも思ってみたり。
一番確実な性質は、片づけられず、集中できず、物忘れがひどく、衝動的にいろんなことに手を出すので、ADHDだなということはわかるんだけど。
でもどれも、診断が出るほどの顕著なものではなくて(たぶん
結局はしかし、こういうパーツが微量ずつ集まっての組み合わせで「私」という個体が成り立ってるってことなんだなと、このような歳になってようやく理解した次第。


最近はこんな特徴についての名前ができてきて、単語で表すことができる・・・ってことは、これに類する特徴の人は一定数存在するわけで、おかげで、お仲間がいるんだと安心できたり、私みたいな?人に対処するためのノウハウを考えてくれてる人もぼちぼちでてき始めてるんかなと、期待したりも。



ポテンシャルは、おそらくは低くはないのだと思うのです。
授業中ぼーーーーーっとしていても、テストの点は平均点以上あったし。
ハングリーに練習しなくても、スポーツもできなくはなかったし。
でも、能力の高い人が努力した成績を凌駕できるほどの天才ではなく。
「努力を積めない」のも才能がないってことなんですよね。
だから、いわゆる、これを「普通」というのだなと、思います。
・・あ 違うな。
人類みんなが「普通」ではなく、いろいろなんだってことだと思います。
みんな個性がありますもんね。



・・・今回琵琶湖に行って審判員のお手伝いをした「カヌー」について。


わし、20歳から22歳まで、スラロームっていうのをしてました。
もう、35年も前です。30年以上のブランクがあって、今更やれと言われても無理ですけど。でも吉野町にワールドマスターズゲームが来ることになって、当時の知り合いが声をかけてくれて、これも縁なのかなと、ちょっと思います。
私に出来ることはお手伝いしてあげたいと思うけど。
時間もないのに、どんなふうに関わっていけばいいのかなぁ・・・・・。




私のやりたいことって、なんですか?
「カフェ」です。
何歳まで生きるつもりですか?
「まぁええと、生きられるだけ生きます。」
何歳まで働きますか?
「動ける限りは永遠に。」
いつまで夢を目指しますか?
「死ぬ瞬間まで目指します。」
カフェ以外にやりたいことはありますか?
「いろいろ山ほどあります。」
優先順位は?
「カフェが第一だけど、じっくり考えつつ、その時できることをします。」
カフェ以外の大事なことは何ですか?
「子ども達のこと。」
子育てについてどう思いますか?
「子どもが自分で生活できるようになるまでの補助だと思ってます。」



・・時間が足りない・・ってことは痛感するなぁ。


今日は、よいお天気。


することの優先順位、よく考えようっと。

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