カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

生きる意味

うちの息子は,産まれて2週間の時と,1歳半の時の,2度心臓の手術をしている。
息子は,心臓の血管の左右をつけ間違えて産まれて死にそうになったのだが,
優秀なお医者さんの手によって,正常な位置につけ替えてもらった。


1歳半のときの入院は,小児病棟でわたしがつきそった。
息子は手術直後こそICUでぐったりだったが,時間経過でどんどん回復して,抜糸して,ドレンもはずして,もりもり食べられるし,すぐ歩けるようになり,2週間ぐらいで元気いっぱいになった。
現在は肺動脈と大動脈に狭窄が残っているだけ。
そのための雑音は健康診断の度に指摘されるかもしれないが,
無理をしなければ「ふつう」に生きていける。


よく似た境遇の子ども達が同室で,ママさん達とイロイロおしゃべりをしていた。
いい わるい ふつう のボーダーラインは,人によって感覚が違う。
ふつうの子ども達のママさんとは,違う常識があった。
うちの息子などは,命に別状がなくなった時点で,その病室内では「健常児」とかわらない認識をされていた。



「心臓に穴が開いてると言われたんです」と深刻な顔をした夫婦もいたが,我々の病室では「ああ,よくあるのよ。」と励ましたものだ。ぶっちゃけ盲腸ぐらいの扱いだ。
穴はふさげばいいだけだし,10日ぐらいで退院できるし,心臓専門の病室では一番簡単な部類に違いない。


7回目の手術を受ける子は,その縫った跡でおなかがつぎはぎだらけになっていたが,
そのママさんはたくましくなって「手術のようすを見てみたい」と言っていた。


生まれてから1年間ずっと呼吸器につながれている子の母親は,一日ミルクを何cc飲ませられるかを目標にしていた。その子は,生まれてこのかた,意識もなくただ息をしているだけ。 いつその鼓動がとまるのかもわからないまま毎日世話してた。


現状を受け入れるまでは,ショックだっただろうけれども,誰もそれ以上のことを考えて無いように見えた。


決して口に出さないけど,
「いつまで生きられるんだろう。」
「このままベッドで生きられたとして,幸せだろうか。」
「何を考えて親は世話をするんだろう。」
という思いが脳裏をよぎったりする。
そんなことを考えてしまう自分が,非人間的に思えて怖くなる。



でも,どの母親も,絶望してなかった。
子どもが生きている限り,なんらかの希望を見つけて,明るい方を向いてた。
たぶん,あの病室の環境だったからかな・・とも思う。
同じような境遇の子どもがたくさんいるし,経験したことを教えてもらえたり,
気持ちを聞いてもらえたり,相談したりもできて・・・



親って自分の子どもに,世の中の役に立つ人になってほしいとか,成功してほしいとか,
いろんなこと期待するけど,(まあ,気持ちはわかるよそりゃね。)
親が子どもにしなくちゃいけないことって,なんなんだろう。・・って考える。



わたしは,
本能レベルで,理屈抜きで,
産まれた子に,ただ生きてほしかった。


「愛」とか?
・・・ちがうな。
 ・・・いやそうかな・・?
簡単なもんじゃない気がする。
その気持ちを言葉にすることは,とても難しい。


自己満足なんだろうか。
・・そうかもしれない。



「大事」


そう,大事だな。
なんかうまく言えないけど。



きっと機械につながれて生きてるあの子のことも
あのママさんはとても大事に思っているのだ。


「大事だから」



極論なんだけど,
ほんとは「子どもが生きている」ことに,
別にどんな意味もなくてもいいんじゃないかな。


と思うんだ。



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