カフェを開きたいと思っていた。


カフェを開くのが長年の夢で。だからこのブログの看板にしてみたのです。

夢を見続けてて、とりあえず、目の前の生活をぼちぼち頑張る毎日。
そこからちょっとのきっかけで夢が動き出し、ついにカフェが現実に!!

さて、ここがゴール?
いえいえいえいえ、ここからがスタート。

自分のカフェを持ち、理想と現実のギャップに悩み。
絶賛、試行錯誤と暗中模索の繰り返し。

みたいな日記。

とうもろこしをもらった。

実家に,母ちゃんの姉さん夫婦(いわゆる叔父と叔母)が来ていて
「あんた,とうもろこし好きやろ。もらっておいてやるから。ひさしぶりやのに挨拶しにおいで。」と,なかば強制的に呼びつけられた。
 私の実家の母ちゃんの実家(ややこしい?)は天川村なんだけど,
このおばさんちで作られているとうもろこしは,いつでもすげー甘いのだ。
 晩ご飯かたづけてから,のそのそと実家まででかけた。


 実家の母ちゃんは2年ぐらい前に,斜め向かいの空き家をひゃくまんえんで購入した。
 そこは,元教師のご夫婦がが住んでいて,2人とも高齢のため亡くなって,すでに結婚して独立していた息子達は,この古い家の処分をどうするか困っていたのだ。
 ご主人が要介護状態だったので,古い家だけどあちこち手直しされていて,手に入れたときにはお風呂やトイレも,バリアフリーに整えられていた。
あとは,傷んでいた台所をすこーし改造して,冷蔵庫とかTVとかも持ち込み,畳も新しくして,急すぎる階段をちょっとゆるくして,今や年寄り?にはとても居心地のいい家になっている。


あっ!・・・


こんなに身近にいるやん。古民家の改装してるやつが!!


・・・。


そ,それはともかく,


叔母の天川村から,実家まででてくるのに1時間。(トンネルができたからこれでも短縮されてる)うちから奈良市まで1時間半。その叔母夫婦は,北部の病院や公共機関に用があるときは,うちでお泊りしていくようになった。
母ちゃんも,それなりにお世話は大変かもしれないが姉妹だし適当にやっているようだ。今度,うちの家族も泊まりに行こうかな。って言ったら,叔母が
「ここもいいけど,天川へおいでよ。コテージみたいなもんよ。」
と言われた。実際にきれいな川があって,キャンプ場もたくさんあるのよね。
(・・・うーん。・・・いいんだけど,やっぱ気兼ねだ)


ところで,その天川村っていうのは何年か前の台風でひどい災害に逢った地域の
ごく近所だ。 その時の話も,中学の先生の宿舎が流れて女性教師が死んでしまったこと,どれぐらいの山が崩れて,川がどんなふうにせき止められて,どんな音が鳴って,
どんなふうに避難して,復旧もまだできてないことも,当事者ならではの臨場感あふれる話を聞いた。


昔の話も,いろいろした。
わたしが小さいときでも,もう50年も前の話。
わたしが産まれる前の話も。実家の母ちゃんが子どもの頃の話も。
実家の母ちゃんは,10にんきょうだいの末っ子だ。
一人二人と欠けて亡くなって,もう3人しか残ってない。
わたしは,小さい子がお話をねだるように,
自分の子どものころあったことの記憶を引っ張り出して話題をふって,聞きだすのが楽しかった。楽しかったけど,せつない気持ちでいっぱいになった。


実家の母ちゃん(末っ子)が1歳半の時に,父親がガンで死んだということも,
かあちゃんの一番上の兄さんは戦争に行って,ニューギニアで死んだことも,
2番目の兄さんは戦争で怪我をして障害者になって帰って来たことも,
わたしは昔に聞いて知っていたのに,
そんな現実を受け入れるしかなかった天川ばあ(母ちゃんの母ちゃん)の気持ちを
実感してなかったことに気付いた。


ばあちゃんは,戦地から長男が送って来た手紙を,何かあるごとに出して読んでたんだって。それを,同居していた次男の嫁(もしくはその息子)が捨ててしまったらしい。
「まあ,仕方ないさ。」って,叔母も母ちゃんも怒ってはいなかった。
母ちゃんと叔母の話には,誰に対する悪口もなかった。
今頃,ニューギニアでの戦争の記事を読んでしまったよ・・。
時代とはいえ,痛すぎる。


そして,天川ばあちゃん・・,
私の記憶のばあちゃんは,80歳過ぎてしわくちゃになったばあちゃんだけど。
強かったんやなぁ・・・



わたしは・・・
今の時代を,どう生きたらいいのか,よくわからなくなった。


大好きなトウモロコシは,明日ゆでて食べようと思う。




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